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zoom RSS あの頃は…ヒッ!

<<   作成日時 : 2009/02/11 15:13   >>

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小笠原の次に自分が旅したのは関西。しかも自転車での旅だった。

写真学校を卒業した僕はアシスタントとして、とある写真スタジオに入ったのだが、そこはとにかくキビシかった。

まず、そこで働き始めたのは実は卒業より前。
面接時に
「すぐに来れる?」
と聞かれ、面接の2日後にはもうそこの社員となっていた。
学校の卒業式があった日も、会社からは
「卒業式が終わったらすぐに会社に来い」
と言われ、友人たちから誘われた飲み会にも参加する事なく、まっすぐ会社に行ったぐらいだ。

今でこそ、そんな会社は減ったのかもしれないけど、当事は
「写真スタジオのアシスタント=丁稚奉公」
みたいな感じで、会社側からすると、
「右も左もわからない小僧を一人前にしてやってんだ」
という、所謂、
「雇ってやってる」
という思いが強く、そのため、会社では
「お前、この仕事、向いてないんじゃない?」
「辞めてしまえ!」
「明日から来なくていいよ」
などという台詞を毎日のように言われていた。
まあ、そのお陰で根性とふてぶてしさが養われたわけだが(^_^;)

ただ、現実問題として辛かったのは、とにかく給料が安い。
会社までの交通費などの支給もなく、給料は手取りで8万円ぽっきり。
自分は当事、家賃4万3千円のアパートに住んでいたから、光熱費その他を払うと、正直、飯を食う事すらままならない生活で、その頃、何が嬉しかったって、カメラマンの人(会社の上司)から、撮影後、
「飯を食いに行こう」
と言われるのが一番嬉しかった。
あ、そうそう、この会社のカメラマンはタバコを吸う人が多かったんだけど、そのタバコを用意するのは僕らアシスタント。当然自腹で、カメラマンによって吸う銘柄が違ったので、複数のタバコを用意しておく必要があった。
ね、飯食えないでしょ。

最終的には、自分と同時期に入った他のアシスタント2人が辞めてしまい、自分は7人のカメラマンのアシスタントを1人でする事となった。
毎日8時頃に自分のバイクで出勤。仕事が終わるのは通常で午前2時過ぎ。月に休みは2日ほど。と、今考えるとびっくりするぐらい働いていた。
でも、当事は他の世界の事をまったく知らないから、カメラマンになるにはそういう事をしないと駄目なんだと盲目的に思っていたんだよね。

で、たまたまバイクで現像所へ行く途中、とある有名な写真スタジオの前で、写真学校の同級生にばったり。
そこはレンタルのスタジオだったんだけど、彼は16万の給料をもらってると言う。
え〜?そうなの!

と、前置きが長くなったが、結局自分はそこのスタジオを辞め、なし崩し的にフリーのカメラマンになったのだった。

で、なんで自転車で関西に行ったのかと言うと、これは小笠原で知り合った人から誘われたからである。
ちょうど、仕事を辞め暇だった事と、自分にとっては未知の自転車での旅。更に溜め込んだストレスを発散するのに、自転車に乗って遠くまで行くというのは、実に魅力的な事のように思えた。
自転車は彼の奥さんが乗っていたのを借りる事となり、新幹線で新神戸まで行って、そこから先は自走するという旅が始まった。

宿は基本的にユースホステルを利用したんだけど、この旅で初めて、ユースは山の上のほうにある事が多いという事実を知り、自分の体力の無さに愕然としたりもした。

最初に泊まったのは神戸の垂水YHだったと記憶しているが、そこにはたまたま奈良の女子高の写真部が合宿に来ていて、顧問の先生には睨まれたけど、僕らはすぐに仲良くなった。
なんか、何人かと自由時間に一緒に行動したと思うんだけど、その後、手紙なんかをもらったりして、確か何年後かに、その内の1人と奈良で会って、ドライブしたような記憶が…。

そう、この旅で僕が学んだのは、出会い。
その全部は覚えていないし、何故か当事の写真も残ってない(写真、撮ってたのかなぁ〜?それすら記憶に残っていない)んだけど、あちこちで人に親切にされ、改めて
「旅っていいなぁ〜」
と思ったのだ。

神戸ではこのほかにも、バイクに乗った女の子に呼び止められ、なんと彼女の家でスイカをご馳走になったり、姫路(だったかな?)では、
「食事をするのにどっかいいとこない?」
と、学校帰りの中学生に聞いたら、すし屋に案内され、
「おとん、お客さん連れて来たで」
って、お前の家か〜い!
ってツッコんだり、瀬戸内海を渡るフェリーにタダで乗せてもらったり、軽トラックのおじさんに呼び止められ、荷台に積んでいた売り物のスイカをご馳走されたりした。

最終的には同行していた人とは広島で別れ、自分は写真学校の同級生の実家(愛媛県松山市)まで行き、何泊かさせてもらったのち、帰りは山口の岩国から青春18キップで延々各駅停車を乗り継いで帰って来たのだが、旅の途中で応募した某企業出版の新雑誌でカメラマンとして仕事をもらえる事となり、また忙しい東京の日々が始まったのだ。

そうそう、自分が知らない広い世界を知ったのも、この旅だったのかもしれない。

※そんなわけで、この時の写真が一切ないので、写真はその数年後、取材で行った沖縄のものです。レンタサイクルに乗って、さとうきび畑などを見に行きました。

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