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zoom RSS あの頃は…ハッ!

<<   作成日時 : 2009/02/10 13:30   >>

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「写真を撮るとそれで満足しちゃうだろ」
「俺は記憶を大事にしてるから、旅に出ても写真は一切撮らないよ」

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昭和58年8月、自分は小笠原諸島の父島にいた。

写真学校の卒業制作のための写真を撮らねばならず、当時はまだ自分が伝えたいメッセージなど持っていなかった自分が安直に選んだテーマが「もう一つの東京」。
当事自分が住んでいた荒川区の町屋に、自分にとっては新鮮だった都電荒川線が走っていた事や、1年前にバイクを買って、足繁く通った奥多摩、実家が八丈島なんていう事が大きく作用してたんだと思うが、特に撮りたいものもなかった自分が、提出期限が迫る中で、単純に意味を持つと信じ込んだのがそれだったんだろう。

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今でこそ、自分なりのテーマを見つけて写真を撮ったりしているものの、写真学校に通っていた頃は、授業なんかよりバイクで遊びに行ったり、友達と遊んだりする事に夢中。

で、実は元々、バイクや旅にも全く興味がなかった。

そもそも原付の免許を取ったのも高3の秋と、これまた遅いデビュー。
クラスメイトの何人かが免許を取るというので、あ、じゃ、俺も取るみたいな形で、一緒に免許を取りに行ったんだけど、免許を取ってもバイクを買うつもりもなければ、どこかに行きたいわけでもなかった。
単純に同級生に同調してみただけだった。

ところが、
「先輩、免許取ったんですよね」
と、何故かとても嬉しそうに写真部の後輩が話しかけてきた。
そして、
「友達がバイクを売りたがっているんですけど、買いません?」
と続けた。

自分が原付に乗り始めたのはそんな経緯だったんだけど、これが乗ってみたら面白くて、その後はどこに行くんでもバイクで行くようになった。
とは言っても近所や、せいぜい新宿辺りまで。初めて遠乗りしたのはバイト先で知り合った1コ上の男と、千葉の犬吠崎まで行ったぐらいだった。

で、忘れもしない甲州街道。
その日、友達との待ち合わせに送れそうだった自分は、車の間をすり抜けながら新宿へと向かっていた。
と、辺りに「ウー!」というけたたましいサイレンの音が鳴り響き、バックミラーを見ると、そこには白いバイクがいっぱいに写っていたのだった。
白いバイクの男は、自分を誘導し路肩に停車させると、免許証を出させ淡々とキップに必要事項を書き、それを切って僕に渡した。
で、屈辱的な一言が…。
「原付がナナハンより先を走っちゃ駄目だろう」



自分はこの時点まで、原付で全然満足していたので、同級生や後輩から
「中型取りに行こう」
などと言われても、決して首を縦に振る事はなかったのだが、このおっさんの物言いで決心し、次の日にはもう教習所に申し込んでしまった。

で、めでたく中型免許を取得し、知り合いの口利きもあって、当時入手困難だったHONDA VT250F(白)(写真)を購入したんだけど、恐ろしいのはその時点でも、遠くへ行く事など全く考えていなかった事だ。
自分は単純に排気量の大きいバイクに乗りたかっただけで、その使い方は原付と全く一緒。所詮近所の足ぐらいにしか考えてなかった。

そんな日がしばらく続いたある日、自分がよく通っていた喫茶店で、しばらくぶりに3歳年上のいとことあった。
そして、彼に自分が免許を取ってバイクも買ったんだと話し、店の前に停めてあったバイクを見せると、彼は
「凄いな〜。これでどこでも行けるじゃん」
と、バイクを眺め回しながら、とても感心した様子で僕に話した。
「もう、どっか遠くまで行ったりした?」
「いや、近所しか乗ってないよ」
「なんで?250ccだったら高速も乗れるし、車と一緒だよ。行く気になれば大阪だって行けるんだよ」

そうなのか!

結局、ちゃんとしたツーリングなどした事がなかった僕は、その年の夏、バイト先の大学生に誘われ、初めて2泊3日のツーリングに行ったのだった。
その後はもうバイクに夢中になり、やがては一人でも平気で遠くまで行くようになっていくんだが、元々はこんなで旅にもバイクにも全く興味を持ってなかったんだよね。今、考えると実に不思議だが…。

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と、そんな自分であったから、外国に行くなんてのはもちろん、考えてもみない事だったし、旅そのものも、知らない土地には極力行きたくなかった。
で、なんで小笠原に行ったのかと言うと、たまたま親戚が住んでいたからに他ならない。
小笠原は今でも高いけど、当事も往復の船代だけでけっこうな値段で、学生の自分にはひょいひょいと行けるような値段ではなかった。
これに加えて宿代とかなると、それはもう、かなりまとまった金額になる事は容易に想像ができたし、ただでさえ安いバイト代がバイクの維持費とガソリン代で消えていくのに、そこでどかんと大きな出費なんてできようもなかった。
しかし、母親を通じて連絡を取ってもらうと、自分がいる教員住宅にタダで泊めてくれるとの事。これはオイシイ!

それでも一人では心細かったので、高校時代の友人を誘って二人で小笠原に行ったのだった。

本格的な旅はこの時が初めてだったのだが、長い時間をかけて到着した小笠原の父島は、南国らしい開放感に満ち溢れていて、他の旅行者ともすぐ友達になった。
中でも大きな存在だったのが、写真の「ターザン小屋」である。
手作り感いっぱいのこの店のオーナーは、実は出身が八丈島の漁師さんで、店の作りもアバウトなら、店の経営も思いっきりアバウトだった。
「お前ら、明日暇だったら魚獲るの手伝わないか?」
そう言って、当時ウヨウヨいた僕ら学生に自分の仕事を手伝わせると、その夜は散々飲み食いしても
「ん〜、手伝ってもらったから300円」
とか言う人だったのだ。

もちろんこの店には学生だけではなく、いろんな人が来た。
写真に「にんぎょうげき」という看板が写っているが、それは元々N○Kの人形劇ドラマをやっていたという人が、その人形をバイクに積んで人形劇を見せながら日本中旅していて、それをここ「ターザン小屋」でやる話が盛り上がり、自分たち学生もそのお手伝いで、この看板を作ったり、ちらしを作って島の子供たちに渡したり、島内放送で呼びかけてもらったりしたのだった。

ちなみに、この頃の自分は酒もほとんど飲めなかった。
ビールも苦くて「オエーっ」って感じだったし、ウイスキーなんてーのは飲んだら確実に具合が悪くなる飲み物だと認識していた。
なので、このターザン小屋でも好んで飲んでいたのは甘い系。
学生の間で店にある飲み物を適当に混ぜて作る新しいカクテルが流行り、中でも僕らの間で絶大な人気となったのがジンと炭酸、それにパインジュースを加えたジンパインだった。
ただ、ベースはジンなので、自分はこれを飲んでは吐きという事を散々繰り返した。
アルコールに関しては今でもこの店で鍛えられたと思っている。

で、一番上の台詞は、そうやって適当にアルコールが回る中で、僕を写真学校の学生だと知った一人のおじさんから言われた台詞。
自分は酔った勢いもあって
「なんでですかー」
とか、散々言い返していたと思うんだけど、おじさんは声を荒げるでもなく、淡々と人生について語ってくれたような気がする。

今考えると、ここが自分の旅の原点かもしれない。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
小笠原いいすね。今でもそんな感じなんかな。
日本はどこもかしこも観光地化されてて、なかなか
そういう空気の所は少ないなぁとさびしいです。

あんがい「これをしなければいけない!」ってのより
自然にあるがままでした事や、方向性ってのが
ええんかなって。ただ今後どこに住んでどないしょー
なーって思います(笑)
jun又はモンキー
2009/02/10 18:14
小笠原、風景は多少変わったけど、ノリはそんなに変わらないかな。
人は他の人に影響を受けていくものだから、たまには流されてみるのもいいかもだよ。
住む場所にしたって、そこに一生住まなければならない!なんていう決まりはないし、友達がいればどこでも平気だよ。
Gucchi
2009/02/11 13:10

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